philippnes pagtira talarawan(フィリピン滞在日記)

AKOがPHILIPPINESに滞在した時の事を赤裸々に・・・

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最近

全く・・・良いネタも悪いネタも全く無いので・・・

ネタが出来た時にうpしますね!!(苦笑
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フィリピンでは・・・

先ずは・・・記事を読んで下さい!!

外国人旅行者とフィリピン人帰国者による国内での買い物に対する
付加価値税(VAT、現行税率12%)の払い戻し制度創設を求める
決議案が、上院に提出されていることが明らかになった。財務省傘下の
国家税金調査センター(NTRC)も先週、「VAT払い戻しによる観光業と
経済全体の活性化によるプラス効果は、税収が減るマイナス効果を
上回る」として、払い戻し支持を打ち出している。15日付各紙が伝えた。

 
この決議案は、ミリアム・サンチャゴ上院議員が、旅行客の誘致と消費意欲
刺激による観光業テコ入れと経済活性化を目的に、上院決議案928号として
3月に提出したものだ。同案は、外国人旅行者およびバリックバヤンと呼ばれる
フィリピン人帰国者が国外に持ち出す製品を「輸出品」とみなし、輸出品の
VAT免除を定めた2005年の内国歳入庁(BIR)の規則を適用するよう主張。
徴収したVATを払い戻すよう提案している。
 
 
15日付マニラスタンダードによると、現行の法令では、海外に在住する
フィリピン国民が国内で購入した製品を持ち出す場合のみ、限定的に
VAT免除が認められている。免除の範囲は免税品で購入額2,500米ドル
相当まで、免税品以外で1,000米ドル相当までという。
 
■支持した上で「条件」
 
NTRCは14日、仮にVAT払い戻し適用の最低消費額を諸外国と同水準の
20米ドルとした場合と、30米ドルとした場合について、昨年の外国人
来訪者数314万人をベースとして試算すると、VAT税収減はそれぞれ
年1億8,800万ペソ、2億8,300万ペソになると発表。その上で、VAT払い戻し
制度導入で見込まれる観光業と経済の活性化による効果は、VAT税収減を
相殺して余りあるとの見方を示した。
 
 
NTRCは一方で、税収減の拡大を防ぐため、外国人旅行者・フィリピン人
帰国者向けVAT払い戻し制度は厳格な条件を設ける必要があるとした。

まず払い戻しの適用を免税店での購入品に限り、かつ購入した本人からの
申請を義務付けるべきとしている。
 
 
また、払い戻し適用に際して最低消費額の設定も必要と指摘。その上で、
「最低消費額は低過ぎると払い戻し制度の濫用(らんよう)につながり、
逆に高過ぎても(観光テコ入れという)目的を達成できない」として、
設定は慎重に行うべきとしている。
 
■タイなどが実施
 

外国人旅行客の買い物に対して、VATや消費税を払い戻す制度は、
観光業が基幹産業のひとつとなっているタイやシンガポールなどが既に
実施済みだ。
 
タイでは、当局が認定した店舗で計5,000バーツ以上の商品を購入した
外国人旅行客を対象に税率7%のVAT払い戻しを実施。申請者は、
帰国時に空港で払い戻しを受け取ることができる。払い戻しを受けるには、
◇タイの滞在が年間180日未満であること◇バンコク、チェンマイ、プーケット、
ハジャイの国際空港から空路で出国すること――などの各種条件を
満たすことが必要だ。
 
 
シンガポールも、指定店で計100Sドル以上買い物をし、チャンギ空港および
セレター空港から出国する外国人旅行客を対象に、規定の各種条件を
満たした場合に限り、消費税(GST)の払い戻しを行っている。



良い案だとは思うけど・・・フィリピンだと・・・何処で帰してくれるかが・・・

問題なんだよね~!!空港で??換金所??ん~~どこも駄目なような・・・(苦笑

勝った時に・・・何か見せれば・・・良い様にするしか無い様な気がする!!

その何かも偽造されたら・・・意味が無いしな~~~!!


フィリピンでは出来なさそうって思うのはAKOだけ??

終戦

昨日は終戦記念日・・・全国各地で色々な式典があったと思います!!

そのなかでも・・・フィリピン海戦で亡くなった方の遺族の方も

沢山いたと思いますので・・・記事になったものをうpします!!

せめては一度 父さんの その手に胸に抱かれたかった――。
足立区東和の歌謡教室経営、南ひろしさん(64)は15日、
フィリピンで戦死した父親をしのんで作詞作曲した
「あゝモンタルパン」を生徒たちと歌う。「戦争の悲惨さを
忘れてはいけない」との思いを込める。

南さんは鹿児島県出水市出身。生まれる1か月前の1945年3月、
父の道徳さんはルソン島のモンタルパンで、米軍と交戦中に死亡した。
音楽好きの父が残した手動の蓄音機を聞いて育った南さんは、
歌手を夢見ていたが、母親に反対され、地元の銀行や市役所に勤めた。

 
転機は73年11月。遺骨収集団に参加し、フィリピンの密林を歩き、
鉄かぶとや銃剣を持ち帰った。これを機に「やりたいことをやろう」
という気持ちが強まり、父をしのんだレコードを自主制作。
テレビCMや映画にも出演。90年代半ばから週末に歌謡教室を開く。
15日は台東区のカラオケ店で、50~90代の生徒20人と
「あゝモンタルパン」や唱歌「故郷(ふるさと)」などを歌う。
母は2年前に他界。レコードも廃盤になったが、「戦争を風化させない
ためにも、歌い継ぎたい」と話している。


64回目の終戦記念日を迎えた15日、横浜市港南区最戸の県戦没者
慰霊堂で県遺族会主催の「県戦没者追悼式」が開かれた。県内の
戦没者は約5万8000人で、遺族ら約150人が参列した。

県遺族会の小菅寅一会長は「深い困難に耐えてきた遺族とともに、
あのような悲しい歴史を二度と繰り返さないと誓う」と式辞を述べた。
参加者全員で正午の時報に合わせて黙とうし、慰霊堂の正面に
設けられた祭壇に一輪ずつ白菊を手向けた。

 
父がフィリピンで亡くなったという相模原市藤野町小渕、秦範子さん(66)は
「残された家族の苦しみは言葉に出来ないものがあった。
8月15日という日を若い世代が忘れてしまわないよう願っています」と話した。


2度と繰り返したら駄目ですね!!平和が一番です!!ハイ

しかし・・・フィリピン国内では・・・

フィリピン南部の離島で12日起きた同国軍とイスラム原理主義
過激派アブサヤフの交戦では、少なくとも53人が死亡したことが
分かった。国軍上級司令官が13日明かした。

 
犠牲者の内訳は、アブサヤフ側が30人、国軍側が23人という。


ルスティコ・グエレロ陸軍准将によると、現場はバシラン島の奥地に
あるアブサヤフの主要な訓練基地。国軍側が同基地に対し「断固と
した警察活動」を行ったところ、激しい抵抗にあった。

 
リスクコンサルタント会社パシフィックストラテジーズ・アンド・アセス
メンツのアナリスト、マーズ・ブアン氏は「今回の交戦だけで
アブサヤフ側の活動が鎮圧できると考えるのは早計」と見解を示している。


相変わらず・・・なにやってんだか!!!!嫌なら違う国に亡命すれば良いじゃん!!

って・・・ぼやいて・・・今日のうpは終了です!!(苦笑

沢山・・・

4日振りのうpになります!!(これぐらいだと楽ですね!!)

本日は2つのニュースを1つの記事でうpします!!

まずは・・・台風8号の被害報告です!!


フィリピン当局は8日、大型の台風8号(モーラコット)による死者が

20人に上ったと発表した。同日ルソン島では鉄砲水が発生し、

孤立した村人数百人の救出に当局は追われた。

 
死者20人のうち12人は、同島北部のバギオ市の炭鉱で7日

発生した地すべりで、生き埋めになっていた労働者だった。

 
災害救援当局によると、同東北部7州の住民約17万3171人が

洪水や地すべりから避難しており、8日も救助隊が出動し、

村人らを救出した。台風8号は8日、台湾でも猛威を振るった。



日本でも台風9号の被害が出てますが・・・この8号は

フィリピンだけでは無く・・・台湾・中国でも猛威を奮ったようです!!

(フィリピン関連ニュースしかうpしないので・・・書きませんが!!)


Iもう1つのニュースは・・・まずは・・・読んで下さい!!


今年上半期(1~6月)、全国の観光地上位16カ所のうち、
ルソン島南部カマリネススール州が最も多くの観光客を
集めたことが、観光省の調べで明らかになった。
同州自治体が推進しているマリンスポーツ「ウェイクボード」を
目的とした観光客が国内外から多数訪れているという。
観光客数は、昨年同期の約30万人から90万人に増加した。
マラヤが伝えた。
 
  
今年に入り、カマリネススール州を訪れる観光客が急増。
上半期に同州を訪れた観光客数は、90万2,202人に達した。
海外からの観光客が前年同期比51.5%、国内からは
同260.3%増加。人気の理由は、同州自治体がモーターボートや
水上オートバイで牽引(けんいん)されるボードの上に立ち、
水面を滑走するスポーツ「ウェイクボード」を推進しているためという。
観光地開発として、インフラ整備にも注力している。
 
 
昨年、最も多くの観光客を集めたセブ島は83万599人で、
2位に後退。しかし、海外からの観光客数では、1位の
カマリネススール州を2倍以上上回っている。背景として、
ソウル(仁川)や釜山(以上韓国)、上海や広州(以上中国)、
高雄(台湾)と同島を結ぶチャーター便の増便、ホテル客室数の
増加、活発な観光アピールなどが考えられるという。そのほか、
ボラカイ島(38万3,813人)、ルソン島北部バギオ市(37万1,205人)、
ミンダナオ島ダバオ市(33万247人)、ミンドロ島プエルトガレラ
(21万5,755人)などが上位を占めた。
 
 
今年上半期に国内の観光地上位16カ所を訪れた観光客数は、
前年同期比16.5%増の約400万人。とりわけ、カマリネススール州、
マスバテ州、アルバイ州レガスピ、カタンドゥアネス州、ソルソゴン州を
含むルソン島南部ビコール地方を訪れる海外旅行者が急増した。



間違いなく・・・日本人はそんなに行ってないでしょうね!!(笑

プエルトガレラ・レガスピってのは・・・聞いた事あるけど・・・

ルソン島南部カマリネススール州なんて・・・聞いた事ないな~

行った事も当然ないけど・・・どんな所なんだろう~

機会があったら行って見たいと思います!!(笑

台風被害

台風8号の被害状況が届きましたので・・・


大型の台風キコ(8号)による豪雨被害が各地で相次いでいる中、

ルソン地方タルラック州カパス町サンタジュリアナのオドンネル川で

7日、ピナトゥボ観光登山をしていた仏人3人(男性2人、女性1人)と

比人ガイドら2人の計5人が水死体で見つかった。仏人3人と比人

ガイド1人は6日、大噴火(1991年6月)でできた噴火口などを

見るために登山、車で下山途中、鉄砲水に巻き込まれて行方不明と

なっていた。残りの比人1人は事故現場に駆けつけた地元救助隊

メンバーだった。


太平洋で発達した大型で強い台風8号「モーラコット」の被害で、

フィリピン政府の国家災害対策当局者は7日、北部のルソン島

などで同日までに10人が死亡、18人が負傷したと述べた。


8号は勢力を落としながらも、中国へ進路を取っている。


被害者はフランス人観光客3人などで、洪水にのみ込まれ、

車両が流されるなどした。少なくとも10カ所で土砂崩れが発生、

学校を含む建物多数に被害が出た。


台湾東部や中部では7日、暴風域に入り、地元メディアによると

2人が死亡した。負傷者や行方不明者もいる。停電、河川の

はんらんや土砂崩れも発生、一部道路は寸断された。8号は

同日夜には台湾の一部に上陸、700ミリ以上の降雨を記録した。


航空便の欠航が相次ぎ、中央通信社によると官庁や学校は

台風上陸に備え、休みとなった。



今回の台風は沖縄・台湾の方だったので・・・影響は無いと

思っていたのですが・・・予想以上に・・・ルソン島北部で

大雨を降らせていた様です!!(驚

天災に弱い国なんで・・・行かれる方は・・・気を付けてね!!

埋葬されました!!

フィリピンの「ピープルパワー革命」の立役者となり、先週ガンで

死去したコラソン・アキノ元大統領の葬儀が、5日、マニラで営まれた。

 
土砂降りの雨のなか数万人が参列した。夫とともに埋葬されるという。

 
アキノ氏は、当時のマルコス大統領と敵対していた夫のベニグノ・アキノ

氏が1983年に暗殺されたことを受け、ベニグノ氏の志を継いで1986年

にマルコス政権を打破して大統領に就任した。


アキノ家には、ローマ法王ベネディクト16世のほか、オバマ米大統領、

中国の胡錦濤国家主席など、世界の指導者から哀悼のメッセージが

届いている。


フィリピン政府は10日間の服喪を宣言。5日は国民の休日とされ、

金融市場も休場となっている。

フィリピン・埋葬1
元大統領に別れを告げる
一般参列者ら=4日午後
3時ごろ、マニラ大聖堂で


フィリピン・埋葬2
マニラ大聖堂前でひつぎ
を出迎えるベニグノ上院
議員ら遺族と警官隊


フィリピン・埋葬3

1日に死去したコラソン・アキノ元大統領は5日、マニラ大聖堂

(首都圏マニラ市イントラムロス)での葬儀後、パラニャーケ市の

墓園に埋葬された。葬列が約8時間をかけて通過した沿道では、

市民約20万人(国家警察発表)の見送りを受けた。さらに墓園

到着後は、警官と国軍兵士が隊列を組んでひつぎを先導、

弔砲で送る事実上の国葬となった。

フィリピン・埋葬4
埋葬地に運び込まれた
アキノ元大統領のひつぎ


フィリピン・埋葬5
南ルソン高速道を埋めた
群衆。アキノ元大統領の
遺体を乗せたトラックを
追いかける



10日間

引き続き・・・アキノ元大統領死去関連のニュースをうpしますね!!

8月1日~10日まで・・・喪に服すみたいですね!!

フィリピン・アキノ元大統領2
アキノ元大統領のひつぎに
寄り添い別れを告げる人々


コラソン・アキノ元大統領の死去から一夜明けた2日、遺体が安置されている

首都圏マンダルーヨン市のデラサール大学付属高校体育館には、多くの

市民が元大統領に最後の敬意を払おうと詰めかけた。参列者の列は、

オルティガス通りに面した高校正門から、幹線道路のエドサ通りまで

500メートル以上も伸びるなど、死去後も続く「コーリー(元大統領の愛称)

人気」の根強さをうかがわせていた。


フィリピン・アキノ元大統領3
炎天下、アキノ氏の告別式に
参列する人々=マンダ
ルーヨン市で2日午後
1時半ごろ写す


アキノ氏が死去したのを受け、アロヨ大統領は、国民が10日間、

喪に服する期間を設け、国葬を行うと発表した。しかし、遺族は

国葬を望まないとの考えを示している。


遺体は3日、安置先の首都圏マンダルーヨン市の私立高校

体育館から、車でマニラ市イントラムロスのマニラ大聖堂へ

移された。

フィリピン・アキノ元大統領4
ひつぎの載せられたトラックを
見送る市民ら=3日午後
2時50分ごろ、マニラ市
キリノ通りで写す


車列の通過したエドサ通りなどは、元大統領のシンボルカラー、

黄色のリボンなどを振って別れを惜しむ市民で埋まり、

「ピープルパワー」でマルコス独裁政権を打倒したアキノ政変

(エドサ革命、1986年2月)の熱気がよみがえった。


いや~当分はこのネタなか???(爆

ただ・・・アロヨ政権に取っては・・・かなり影響がある故人でしたので

今後の・・・展開が気になります!!

元大統領死去

月初めですが・・・訃報をお送り致します!!


10,000円が5,000ペソになっているのも・・・この人のおかげかな??

フィリピン・アキノ元大統領


結腸ガンで闘病中のフィリピンのコラソン・アキノ元大統領が1日早朝、

マニラ首都圏マカティ市の病院で死亡した。76歳だった。

「ピープルパワー」と呼ばれる民衆の力で86年2月、20年以上

続いたマルコス独裁政権を倒して大統領に就任。東南アジアに

初めて民主化をもたらし、ミャンマー(88年)や冷戦崩壊後の

東欧の民主化運動に影響を与えた。退任後も、常に民衆の側に

身を起き、反政府の運動に参加するなど「シンボル」的存在だった。

 
アキノ氏は昨年3月、結腸ガンで闘病中だと公表して以来、

入退院を繰り返していた。食欲がないとして、6月24日に入院、

集中治療室に入っていた。

 
裕福な政治家の家庭に生まれたアキノ氏は、54年にベニグノ・

アキノ元上院議員と結婚。反マルコスを掲げていた夫が83年8月、

亡命先の米国から帰国直後に空港で暗殺されて以降、普通の

主婦から、政治の場に担ぎ出された。

 
86年2月の大統領選ではカトリック司教協議会の支援を受けた

アキノ氏と、当時現職のマルコス氏が立候補し、選管と民間の

選挙監視団体が別々の結果を発表した。マルコス政権に反発した

国軍幹部が決起し、民衆も巻き込んだ「ピープルパワー」が起こり、

アキノ氏が第11代大統領に就任した。

 
6年間の在任期間中は、強固な政治基盤を持たなかったために、

政権内で求心力が低下。任期中に発生した7度のクーデターに

対応するうちに、軍の発言力が高まった。また、農地改革なども

十分に行われず、国民に不評を買った。

 
引退後は、政治の一線から身を引いていた。しかし、01年に当時の

エストラダ大統領を追放した「ピープルパワー2」や、最近では、

改憲を推し進めようとするアロヨ政権に反対する運動にも加わり、

一定の発言力を維持していた。



御冥福をお祈り申し上げます!!アーメン!!

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