philippnes pagtira talarawan(フィリピン滞在日記)

AKOがPHILIPPINESに滞在した時の事を赤裸々に・・・

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戦後何年??

先ずはこれを・・・読んで・・・

米国立公文書館で見つかった太平洋戦争中の日本兵捕虜
死亡者リストで、フィリピンで亡くなったとされていた2人が
大阪府と埼玉県出身の男性であることが、遺族の調査で
特定された。

 
遺族は、厚生労働省が保管する資料「俘虜名票」で2人が
捕虜だったことを確認。名票には、墓番号などリストには
ない情報もあった。遺族は「リストと俘虜名票を照合して、
埋葬地などが詳細にわかった」として、遺骨発見に向けて
調査を行うとともに、国にもさらなる情報提供など協力を求める。


<俘虜名票> 
太平洋戦争中、連合国側が作成し、日本側に終戦後引き渡された
捕虜の名簿。生存者のほか、捕われた後に死亡した日本兵の
記録もあり、厚生労働省は約17万人分を保管。捕虜の直筆サインや
生年月日、捕虜番号、顔写真、近親者名のほか、死者の場合は
死亡日や死因などが記録されている。


 
日本兵捕虜死亡者リストは、米国の戦争捕虜に関する情報
機関が1952年に作成。英文で約6000人の氏名、捕虜番号、
詳しい埋葬場所などが記されている。

 
リストは読売新聞のホームページで公開。2人の遺族はそれぞれ
名前を見つけた。だが、リストでは氏名の漢字などがわからず、
身元を特定できなかった。遺族は読売新聞に問い合わせた結果、
戦没者遺族のみに閲覧・コピーが許可される俘虜名票の存在を
知った。

 
埼玉の男性については、次男(67)(埼玉県入間市)が厚労省に
調査を求めた。俘虜名票に配偶者の名前や国内の住所、本人の
漢字の直筆サインがあり、父親と確認できた。捕虜番号や死亡日
などはリストと同じで、捕虜になった日時・場所などリストにはない
情報もあった。

 
大阪の男性については、妹(84)(大阪府堺市)が俘虜名票の
記録を求めたところ、近親者名などの記載が名票にはなかった。
しかし厚労省の調査で、ほかに同姓同名のフィリピンでの戦没者が
いないことがわかり、兄の記録と判断された。死亡日や埋葬地は
リストと同一で、死亡日は除籍謄本に記された1945年6月20日の
前日だった。

 
入間市の男性は「双方の資料で比レイテ島の詳しい埋葬場所を
知ることができた。父の遺骨を探したい」、堺市の女性は「兄の
正確な命日がやっとわかった。多くの遺族は俘虜名票のことを
知らない。高齢の遺族に代わって国が積極的に戦没者の足跡を
調べてほしい」と話している。



昔・・・フィリピンのジャングルで戦争が終わってから何十年か経って

見つかった人がいたよね~??(名前は忘れたけど・・・)

数年前にも・・・嘘情報だったけど・・・日本人が見つかったってあったよね!!

やっぱり・・・戦争に行った人の家族って生きてるって信じてるのか??


AKOの親族は・・・戦争で無くなったって人・・・祖父までは居ないので

実感がないのですが・・・どんな感じなんだろう??
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コメント

小野田さんと

横井さんですね。
さすがに、今後は見つからないだろうけどね(爆)

イタイさん

そそそ・・・そんな名前だった!!(笑

愛知の人と・・・あと・・・何処だったけ??

普通に考えれば…

生きてるなんて思ってないと思われ!
まあなんだ…
仮に見つかったとして、思いっきり喜ぶフリはするけど、心の中じゃ「どうする?」と不安になるんじゃないかな(苦笑)

クヤ

>心の中じゃ「どうする?」と不安になるんじゃないかな(苦笑)

中国の人達にも・・・困ったってニュースが有った様な気が・・・(苦笑

いまだに…

戦争の傷痕を遺す人達も居ると言う事ですよね…

私達には実感が沸かないけど…

kuroさん

>戦争の傷痕を遺す人達も居ると言う事ですよね…
>私達には実感が沸かないけど…

ですね!!戦争を知らない子供達ですからね!!(笑

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